Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

現代の経験と古代についての不断の学習

引き続いて『君主論』献辞の第二パラグラフより。

(2) Desiderando io adunque offerirmi alla vostra Magnificenzia con qualche testimone della servitù mia verso di quella, non ho trovato, intra la mia suppellettile, cosa quale io abbia più cara o tanto existimi quanto la cognizione delle actioni delli uomini grandi, imparata da me con una lunga experienza delle cose moderne et una continua lectione delle antiche; le quali avendo io con gran diligenzia lungamente excogitate et examinate, et ora in uno piccolo volume ridotte, mando alla Magnificenzia vostra.

そこで私は親愛なる陛下に対する僕としての証をもって御前に上りたいと望んだのですが、私の家財の中でもより大切にしまた価値を認めるものが、偉人らの行為についての知識の他には見つかりませんでした。それは現代の出来事についての長い経験と古代にまつわる不断の学習から私が学んだもので、偉人らの行為を実にコツコツと時間をかけて熟考検討し、そして今し方小冊子にまとめましたので、親愛なる陛下にお送りするものです。

物ではなく知識を、偉人の行動についての認識をプレゼントする、これはやはり近代だな。マキァヴェッリフィレンツェ政庁書記局在職は約15年なのに、「現代の出来事にについての長い経験」とあるから、今日21世紀の感覚からするならそれほど長くもなさそうなのに、これは充実していたということなのか当時の体制の寿命さらには人間の平均寿命からすると長いのか。

ところで下線部は有名な箇所。マキァヴェッリの思考空間を押さえる場合、まずは時間軸が重要となり、つまり現在と過去、当時のフィレンツェの政治情勢と古代ローマの、なかでもローマ共和制時代との対比がある。その古代に政治体制の、生活理想の範型をマキャベリが迷いなく置けたというところが不思議な感じがするところではある。つづく。