Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

イタリア海外研修1212-1217_2019

 

 初日からして想定外だった。フランクフルトに着いて、パスポートコントロールと税関手続きはドイツだからそれなりに時間がかかるとは見積もっていたつもりが、クリスマス時期なのだろうか、パスポートコントロールがなかなか進まない、イライラしてボローニャ便に間に合うか気にして、さらに荷物チェックがめちゃくちゃ並ばされている。いかん、と思ったから一番列の短そうなところに仕切り線を潜り抜けながら入り込んで、何とか通り抜けると、何と出発17時まで15分しかない、Aゲートがまた遠く、いじわるされているのかと思うほどで、走ったねー、急いだねー、ボローニャ便は1Fになっていて駆け込むように機内へ、搭乗が遅いものだから荷物を棚に置くスペースがもうなくて、見渡しても無いものだから、狭い狭い座席に置くと足膝は痛いは何でこんなに苦しい態勢で飛行機に乗らないといかんのか、ともかく1時間ちょいだからと思って、やっとボローニャに着いたというわけである。

 フランクフルトではWhatsAppを使い、Gian Marioに夕方はどこで会えるか、と連絡を入れたところ、ボローニャのマルコーニ空港についてiPhone機内モードをオフにするや返事が入ってきた、今日は無理で明日フィレンツェで、昨日と今日ボローニャで開催されたBorgiaファミリーに関する学会への招待客の世話があるから、とのことだった。あーボローニャの学会はかなり力を入れていたんだな、と気づいたことと、やはり到着初日は予定を入れない方が自分の体にとっても賢明だと改めて思った瞬間であった。

 

12132019

 初日はボローニャからウサギマークのItaloに乗ってフィレンツェ入り、快適だが17分遅れ。雨のため、Rivoliホテルへ先に向かう、そして会場入りがもう10時半を回っていたか。Giulio Ferroni氏の少し前からセミナー参加。前半の部は哲学的テーマ、タイトルは昨今のイタリアの危機。GiulioのあとでGian Marioがinterventoをやっていた。何が争点なのか掴めず、ただ現代の事例でBrexitや移民が話題となり、イギリスのJohnsonが総選挙で勝利しEU離脱を決定づけたことも挙げ、彼も難しい解答のない局面をどうにかしのごうとしているが彼は上から押しつけているわけではなく、あくまでも民意にうごかされているとして、Anselmi先生はたしかpiccolo MachiavelliとJohnson首相を例えたと思うが合っているかな。

 やはりレジュメはなさそうだ、こういう講演と言うか語りかけの発表が古風ながらイタリアにおける伝統なのだろう。次のStefano Visentin氏はあのLuca風のといっても完全にイタリア顔のあのミルフィーユを最後に食べていた先生と思うが、lo spazio della politicaをテーマにしていた、そして今の国際情勢にla soggetta sovranaが入る余地があるかどうか話していたと思う、Carlo Varottiのこともいんようしていたな、このspazioだが空間と言うか場のことだろうが、おそらく私の脳裏にすぐ浮かんだのはforma mentis知の枠組み、Stefanoはla politicita’ spazialeと表現していたか、そして前半のキー概念として「Il Principeはsovranita’を扱ったものではない!」これが通奏低音か。つまり言い換えて見ると、一君主が一人の権力者が困難や転換期に何かを起こせるのではなく、民意や兵士や貴族的な連中の意向に巻き込まれながらもとくに大衆の熱意をそれとして放り出して放縦のままにするよりもその知的で意欲的な調整役として立ち現れているという理解だろうか。そして最後に若いヴェネツィア出身の研究者が登壇した、昼食ではその人の隣に座ったからもう一度名前を聞いたのだが、Gianmarino何とかだったなぁTesserolo?、ギリシアの名前かと聞き返したらいやイタリア、ヴェネト地方の苗字とのこと。そういえば昼、左隣りに座ってくれたもう一人の若手がLorenzo Megina君だったか、ヘーゲル学者の卵だ。

 

昼食はGian Marioの計らいで私もご相伴に預かった、レストランはLa dantescaでSanta maria Novella広場にも入り口がある。

 

12152019

昨日マキアヴェッリセミナーが終わる、が初日の後半を振り返っていないのでまとめておこう。議長役は女性のBassiさん、ルネサンス研究所の評議員メンバーに名前があったな。トップのProf.Asor Rosaは来なかった、朝起きられず風邪気味で、と主催者側で研究所長のCiliberto先生がスマホを出して、Alberto Asor Rosaからの文面を見せていた。どんな方か見たかったが。次の発表者は比較的若かった、Lucio Biasinori、この人が初めてPCによるスライドを使った、普通はこうだがなぁと思うが、多くの方は語りが中心だ。そして次に登壇したのが、Prof.Cacciari、Massimo Cacciariだ、昼食中に分かったのだが、そうかあのアガンベンと交友がある現代の哲学者だ、Lorenzoの説明だと「否定の思想」でCacciariは著名とのこと。弱い思想とかイタリア語で直訳してみたら、それはVattimoだと言っていたな。話題に移ろう、そうマキアヴェッリスピノザの比較だ、民主的とか自由の捉え方の比較だ、私の理解ではこうだった、スピノザはわれわれ人間はontologicamente決まっている、決定論かな、神によって運命が決められている、だから好きにしていい、一方マキアヴェッリnaturaがもともとあるのだが、それをmodificareするのではなく、ordinandoしていく、ここに人間の自由があるとしている、と解説したように思う、あと後半の部のキーワードを連呼していたが、それはcontingente偶発性だ、とつとつとしゃべる語る繰り返しの言葉を述べる、結構長めで後半はつかみにくかった、が終わると6人以上の質問者が出たから、んー大したもんだ。ちなみにCacciari先生は黒髪に近くおかっぱ風の髪形で、あの大同の稲垣先生を彷彿とさせる、本当にfisionomiaは一瞬アジアにもいそうな感じで、私は昔の俳優常田富士雄を思い出した、比較的スリムで、まじめそうだ。そういえば、virtu’にも二区分があると言っていた、conquistaのそれとfar durar lo statoのそれ、あとの質問者にGian Marioもいて何か反論をしていたように思う、雰囲気のみながら、Cacciariのla fortuna観に対して、つまりはわれわれの手の届かない次元の指摘に対して、マキアヴェッリのbipartizione、duplice aspettiは、la Fortunaをもっとimmanenteに捉えているというように受け取ったがどうだろうか。次のProf.Galliはダンテ研究家とのこと、語り口はゆっくりだがこれまた独特の雰囲気があって、ボローニャ大学歴史学科と聞いた、ともかくもマキアヴェッリのeccezioneを述べていて、例えば第7章のestreme malignita’ della fortunaとか第25章の河川の氾濫とか、これがどう繋がるのだろう、Cacciariとやりあっていたなぁ。

 あの午前中の若手Gianmarinoだが、彼のテーマはマキアヴェッリ思想におけるcorruzioneだった、ともかく早口で俗にいう舌が短いのか長いのか音が漏れる喋り方だ。

 Gian MarioにMachivelloの綴りを聞いたら、Machiavellusのラテン的言い方に倣うもの、つまりlatinizzatoと言っていた、Machiavellusのablativo与格だと。

 

さて昨日の最初からだ。9時20分ごろ到着。最初があの若い女性の人、二番目のあの中堅どころの髪が白髪でふさふさした先生のところで、鉄道切符を変えに行く、ところがnot refundableとか言われて、結局Italoを新規購入。途中工具店で鐘を購入。戻ってみると、まだ質疑応答中だった、前半のテーマはreligioneとsettaつまりcristianesimoとsettaと思われる。中堅どころのMarco Geunaは質問に答える形で、religioneはもともとetruschiの発明で、popoloをまとめ上げる機能をもつとのこと、質問者にStoppelli教授が立って手短にdomenicanoとMandragolaの関係を聞いていた、この方もダンテfilologoだそうだ。風邪気味なのか、声がかすれて食事時の会話はよく聞き取れなかったが、愛想よくしてくれた。次の質問者がCutinelliさん、religioneの働きについて、mondo sacroとmondo immanenteを出していたが、toposが聞き取れなかった。次がローマ・サピエンツァのLettieri教授、長い長い、声と抑揚はきれいなのだが、長い話が。「真のprincipeはla pontefice」ってなことを言っておられたように聞こえた、つば広の帽子が印象的。ここで12時半はとうに回っていただろうか、急ぎで今回の世話役のTerracciano氏がこれまた早口でまくしたてると、会場からそんなに急がんでもいいよとの声がかかった。13時半近くになってやっと昼食休憩だ。質疑応答は午後回しらしい。Maurizio Viroliは来なかった!

 

15:30、トップはGian Marioだ、トスカーナのダンテ以来の語り口の伝統に立って、それに加えてマキアヴェッリは政治の分野においてもvocazione narrativaを果たした、と。そこには混乱と喧騒から無秩序へと向かうフィレンツェ社会に誰もがそこに加われる語りを生み出し、マキアヴェッリの倫理も垣間見える。Grande narratoreはla moltitudineの語りを編み出した、そういえばマキアヴェッリのIl Belfagorは秀逸な語りと推していたなぁ。いつもの勢いどおり、初めは緩やかにそして徐々にスピードが上がり語りに著しい抑揚が生まれ、聴衆を引き込んでいる、そしてほどなく終了。CarloMagnoが言っていたとおり、時間通りで手短だ。そして引き続き重鎮Andrea Battistiniだ、開口一番「io non sono machiavellista, ma…」、年譜と作品の密接な関係を、Dionisottiを下敷きにこれまた説得力のあるゆっくりペースで話つぐ感じだ、Gian Marioとはそう対照的、けどうまがあうのかな。一番聞きやすかったし、私は話についていけたような気がする、途中Vicoも出てきて、MachiavelliとVicoの社会のconflittoの押さえ方の比較も意義があるとほのめかし、マキアヴェッリ参照元の一つである、しかし重要なLucrezioのこと、Ciliberto所長の本への言及、ragioneとpazziaの括り方のこと、Vettori宛て書簡の中でたしか150?年、「voltolare i sassi」の指摘、sisico?こう聞こえたが何だろう、イシス?神話の人物のように聞こえるが、そして最後の方でマキアヴェッリの特徴である「agire」の指摘、そういえばVicoのMachiavelliに対する言及はいずれも否定的negativiな中で、conflittoの押さえ方に通底するものがあるという流れだっただろうか。

 その次がF,Bausi氏、そういえば20年ほど前、スイスのローザンヌで見かけた人だ、たしかDiscorsiについて発表していたように思う。ローマ大のサピエンツァかと尋ねたら、違うCosenzaだとのことであった。風貌はまさにジョン・レノ似。今回はマキァヴェッリの書簡についてがテーマだ、Gaetaにも言及していたな、だが内容はそこまでで、ともかくnazionale版が一番いいようなことだったと思う。午後の部の前の昼食時にBausi先生が目の前に座っていたから、3年ほど前に発見されたマキァヴェッリ書簡について尋ねたら、何も新しいものは出ていないとのこと、見つかったのはマキァヴェッリ宛ての書簡で彼自身が書いたものではないとのこと。とつとつとこれまた生真面目そうに報告されていたが、よく聞き取れなかった。時間が押していたので司会の若手が巻きを告げると、いやもう少しだからと自説を続けて述べられていた。だんだん暗くなりはじめる。ここで5分だったか10分だったか休憩。その後はCutinelliさんだが、PCを使ってマキァヴェッリの肖像を映し出して準備を整えていた。さて再開、この時点でGian Marioはボローニャ行き列車に向かう、そのすぐ後でCarloもだ。マキァヴェッリの伝記はRidolfiのものでほぼ確定していたが、どうやら疑わしい事実が明らかになっているようだ。この発表で紹介された新事実は3点、順に話してくれるのだが、二番目、三番目がよくわからない。最初はマキァヴェッリ肖像画だ。何とかSanti作の肖像画が有名だが、その他のもの、テラコッタも含めてスライドで見せてくれたのは昔のFeltrinelli版の表紙に採られたデッサン風の肖像画だが、これがどうもマキァヴェッリとはまったく別人であるらしい。その他のものも見せてくれたが、しかもアラビア語版の肖像画まで、どこまでが偽で何が本当かはしっかりと聞き取れなかった。何やら日本の聖徳太子の話に似ているな。二点目がこれまでマキァヴェッリのテキストの写しだとされていた当の原稿の存在が疑わしいようだ。どのテキストなのか話を追えなかった。三つめが書簡についてだったが、確か150?年かのもの?で、これがどうだと言っていたのか聞き取れなかったし、思い出せもしない。かなり具体的に話を進めてもらったのだろうが、言い回しについていけなかった。そして最後がProf.Stopelli先生、ダンテ研究家でfilologoと聞いたが、次の日そう15日の昼食に連れて行ってもらうBMWの車内で聞いたのは、Stopelli教授ははやpensionatoに入っているが、長年マキァヴェッリ作品のfilologyを研究され、近年はマキァヴェッリ作と判定し得る二つの作品があって、一つが何位だったかな、文学作品関連だったかな、もう一つが、いかん忘れた、なにせ二つ資料が見つかった、と主張されているそうだ、研究者仲間でもその見解には賛成する者と反対する者とがあい半ばするらしいが。短く終わると宣告されたように、かなり端折って話を締めくくられた。時間がだいぶ押していたから。話の切り出しに、マキァヴェッリ作品の中でもBelfagorが秀逸だと言っていた、そうそう順番前のこちら側に座っているときに、私にGian Marioはと聞かれたが、そうLui e’ gia’ partito,と私は答えた。

 大トリのRoberto Espositoはやはり来なかった。今回の主催者代表Ciliberto教授がこの日のまとめと、Esposito教授が来ない来れない理由を説明していたと思うが、これまたよく分らなかった。こうして19:45に閉会となった。

 ともかくも簡単な記録はこれでおしまい。(帰りの飛行機の中で)