Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

ああ気ぜわしや

 先回からまた一月ばかりが経過した、これをどうして知るかと言えば、メールで「はてなブログ」事務局から「そろそろ書きませんか」という指摘を受けるからだ。そういえば先週受け取ったと今思い出して、こんな按配に。

 9月はピサにて発表する機会を得た、このタイトルがイタリア語で長いのであとでパンフに当たってから記すことにしよう。かれこれ9年前かな?、それぐらい前にコリアンダー・シリーズ『戦争と文学』の中に入れてもらった「Un caso particolare-日本におけるマキァヴェッリの『戦争の技術』の受容」を修正して、再度「マキァヴェッリの受容」をまとめて向こうで発表できれば、という考えである。PowerPointで準備して、まお15分というところで纏めておくのがよかろう、焦るな、明治19年マキァヴェッリと日本の読者の最初の出会い、それも本国のGiunti社、Blado社と同じく、わが国でも同時に二種類の『君主論』の翻訳が出ている、なぜなのだろう。恩師宮川先生の説くところによれば、明治から1970年まで三度の欧化解放と逆の自文化への回帰(引きこもり)が繰り返しおこったと見なしてよいようだ。今回のPisa向けの発表の修正は、その1970年代以降のマキァヴェッリ受容の特徴を付加して厚みを増したいと案じているわけで、早く資料を収集整理せねば。あとはいつもどおり、拙訳『戦争の技術』におけるテキストの分りずらいところをうまく抽出して、若手のイタリア人研究者たちに解題してもらえるような機会を得られれば、次の改訂に向けて弾みがつくというものだ。いつも思い浮かぶのは、第六巻のあれだ、軍規を破った仲間の処罰に関するところ、その仲間の支持に大勢を向かわせないための最大の対処法は、その当人の仲間を裁定者にすることだという、なぜならと続いて、確かその裁定者はaltroの配慮からどうしてもその違反者を処罰する方向に動くものなのだ、とテキストにはあるのだが、その原文中のaltroが何を指しているのか判然としない、「軍法に対する怖れ」なのか、「仲間同士のあつい友情」なのか、はたまた「軍隊を通して市民化された人間の自己保身」を指摘しているのであろうか。釈然としないまま日本語に落としてしかもそれが活字になっていると、どうにも落ち着きがよろしくないのである。

そうだ、他の日本語訳ではどうなっているのだろう、それも当たろうとして先週金曜は研究室を後にしたことを今思い出した次第である。

突然だが、この8月でパスポートも切れる!えらいこっちゃ。つづく。