Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

再起をかけて9月13日2019年イタリアはピサにて

 前回から随分とまたしても時間が経過した。さて今回は、タイトルどおりに今年9月13日に予定されている私自身の研究発表について、その概要をここにまとめておこうと思う。

 第23回の国際会議で、今年の春だったかその通知をネットで受け取ったものだから、何を思ったのかこれぞ再起のチャンスとばかりに応募を試みた次第、以前にもマキァヴェッリの受容ということでまとめたLetteratura di guerra (戦争の文学)の論考をベースに、ほとんどここから進展がないため焼き直しをして、あと少しばかり現代のマキァヴェッリ関連図書を紹介して…などといった魂胆であった。

 国際会議ながら、その名称がいまいち判然としていない。23回目とあり、研究領域は文学と科学で、イタリア人の日本研究者がおもに集うらしいが、少しく日本人研究者が混じるようだ。当会議の募集のためのタイトルを改めて見ると、Altro per me. Technologie e scienze umane: prospettive dal Giappone e dall'Asia orientale とあるから、どうなんだどう訳したらいいのかと言うと、私にとってのもう一つ、テクノロジーと人文科学:日本および東アジアからの視座???とのこと、自己自身にとってもう一つの、言葉を足してもよければ技術と人文科学の関係についての第三の視座を日本ないし東アジアから、という解釈でよいのだろうか。少なくとも人文科学系からの物言いでいけば、これぞ正解というものがないのだから言語を通じて感じ取り理解したそれぞれの受け取りで会議に臨むしかない、他方科学やテクノロジーの方は共通理解のツールが数学をベースに出来上がっているからさほど理解のブレはなくなるのだろうと推測するのだが、これもどうだろう、科学者や技術者次第なのだろう。最初のパンフレットを見ていたら、Il panel intende proporsi come il secondo appuntamento ADI di un gruppo di studiosi italiani interessati a tematiche relative alla cultura giapponese… とあるが、パネルの意図はイタリア人研究者で日本の文化に関連するテーマに関心のあるグループのADIの二度目の会合のようだが、ADIとは何の略だろう。

 これは事後に報告するとして、本題の私の準備している発表の概略を示そう。テーマは、La fortuna in Giappone delle opere politiche di Machiavelli 日本におけるマキァヴェッリの政治関連著作の受容、となる。スライドつまりパワーポイントで15分以内でまとめなければならない。タイトル画面には、1998年のマキァヴェッリ全集第一巻の表紙部分を入れ込んだ。目次は5項目、1.イントロダクションとして今年つまり2019年5月1日から元号が令和に変わったことからスタートしよう。なぜなら去年がちょうど明治150年で、そういう視点から見れば、つまり幕末の黒船以来、西洋の餌食となるまいと天皇を中心に明治時代が始まり、日本は近代化の道をひた走ってきたわけだが、その150年のなかでマキァヴェッリはどう読まれてきたのだろうか、これが今回の発表の前半部の問いかけである。

 令和の出典は漢籍から初めて万葉集となった。元号つまり年号でいうと248番目、明治になってから天皇ごとに元号が定められるしくみとなっている、そういえばそれ以前は節目節目で年号を変えていたようだから、二百を超えることになる、一世代30年だから、300×200で6000、六千年を超えることになってしまうから昔は政変、災厄、飢饉等、何かと名称変更を求めたのだろう、ところで年号の最初は紀元後615年の大化の改新の大化である。「ナカノ オオエノ オオジ」で変換しても漢字にならないなぁ、そもそもこの名前の人物が関係していたっけ、天智天皇からだったはずだ。ともかくも、明治の45年(1868-1912)、大正の15年(1912-1926)、昭和の64年(1926-1989)、平成の31年(1989-2019)と続いて、去年2018年が明治元年から数えて明治150年、この流れの中で西洋古典文献の中でもマキァヴェッリはどう日本人に受け止められてきたのか。宮川先生の歴史区分にあやかろう。明治時代から日本は終戦後の1960~70年代にかけて、三度の西洋への傾斜とその反動としての三度の日本への回帰を繰り返してきた。具体的には、西欧化が明治時代前半、大正期から昭和初期、第二次世界大戦後の十数年、反動期が明治の後半、昭和の軍国主義化、1960~1970年代となる。

 マキァヴェッリとの最初の出会いは、明治19年、西暦でいう1887年8月、Il Principeの訳本である『君論』と『經國策』からだ。前者は天皇に向けて訳され、後者は学者連中や向学の自由人に読まれたようだ。何という奇遇か、原本の方も禁書目録に入れられていたが、1553?年フィレンツェのジュンティ社とローマのブラードからIl Principeが同時に出ている、単なる偶然なのだろうか。国粋化傾向が強くなる明治の後半にはさらなる『マキアヴェリー經世策』が桐生政次、新聞人のあの桐生悠々の訳文で出ている。この頃、林薫訳の『ローマ史論』がはじめて世に出る。

 第二の西欧化の時代に、また立て続けにIl Principeが橋田東聲訳と吉田&松宮訳で、今気づいたことだが、わずか三年の差とはいえ、大正期においても二種類の翻訳が相次いで出ていることには何かわけでもあるのだろうか。この時期、L'arte della guerraの最初の翻訳が廣田氏訳によって大正9年1920年)に出版されている。

 第二の右傾化、つまり昭和の後半から戦争そして敗戦にむけての時期に、5年の差があるが黒田氏訳の『君主論』と多賀善彦(大岩誠)訳の『君主論』(こちらは選集の中の第一巻として)が出ている。

 第二次世界大戦の敗戦後の十数年の間には第三の西欧化、アメリカ化で、日本の戦後復興目覚ましいさ中であり、1960年の日米安保条約締結後に、またしても第三の日本への回帰が始まる。この1960年代から、現代まで底本となっているマキァヴェッリの翻訳本が刊行される、『君主論』は1966年池田訳で、『政略論』も同じく1966年永井訳で。また1970年には、浜田訳『戦術論』が世に出ている。ところで佐々木訳は、河島訳は、塩野氏のマキャベリ関連本は、いつ頃出ているのだろう。

 そしてたしか石上良平氏の遺言となっていた日本におけるマキァヴェッリ全集の刊行が、筑摩書房から、1998年10月始まる。(8/22つづく)