Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

マキャベリの中のマキャベリズムその1

 少し間が空いたが、『君主論』第三章の混成型の君主国の在り様とその獲得・維持について述べたくだりに戻ろう。そこで、これは世にいう<マキャベリズム>という箇所を見つけたので取り上げておこう。意外にも、マキャベリの行論にそういった権謀術数の、血も涙もない打算を見つけるのは稀なのに驚くが、「おぬしも悪よのう」といった悪代官そのものの見立てがやはりあるにはあるのである。

 元の領土に手足のごとく付け足されてできる新君主国では問題が多い、こうマキャベリも指摘している。いつもの場合分けで、併合される土地が自由な暮らしに慣れていなければ比較的まとめるのは容易だが、言語も習俗も制度も異なる地域となると手を焼くのは確かに目に見えている。そこでマキャベリが次善策として勧めるのが、植民団を新領土に送り込むことだ。

(15) Nelle colonie non si spende molto; e sanza sua spesa, o poca, ve le manda e tiene, e solamente offende coloro a chi toglie e campi e le case per darle a' nuovi abitatori, che sono una minima parte di quello stato;

 植民都市においてはさほど金がかかるものではない、ゼロかわずかの出費で植民団を送り込み、そして傷つけるのは、新しい入植者用に土地や家屋が取り上げられる人々のみだが、彼らはその領土の極々一部である。

続けて、

(16) e quegli che gli offende, rimanendo dispersi e poveri, non gli possono mai nuocere; e tutti li altri rimangono da uno canto paurosi di non errare, per timore che non intervenissi a loro come a quelli che sono stati spogliati.

 彼{君主}が傷つける人々は、散り散りに貧しくなっていくから、危害を加えてくることなど不可能である。残る者たちはと言えば、見方を変えれば、皆傷つけられずに済み、‐だから大人しくなるはずであって‐、他方{彼らからすると}身ぐるみ剥がされた連中と同じ目に合わないようにと心配だから、怖気づいて過ちを犯すことはない。

 とまあ随分と一般のそれも併合される側の、中でも植民用に土地や家屋を奪われる側の住民は人間扱いどころではない、物だ。そして、平民というか人民というか、一般の人々に対する普遍的な認識として次の見立てを導き出す、見てみよう。

(18) Per che si ha a notare che gl'uomini si debbono o vezzeggiare o spegnere: perché si vendicano delle leggieri offese, delle gravi non possono: sì che la offesa che si fa

 それゆえ心に留めておくべきなのは、人民には恩恵を施すか、あるいは消してしまうかなのである。というのも人は軽微な危害には復讐するものだが、大打撃には抗しえない、つまり人間相手に為される侵害行為は復讐の恐れのないようであらねばならない。

ほう、なかなか言うじゃないか、一瞬嫌悪感を覚えるしまた同時に昔も今も変わらぬ一般人のすこぶる動物に近い心性を図星しているとも取れるし、たしかに悪くも良くもマキャベリ的な表現ではある。

 繰り返すが、平民根性として、ごく一部の理不尽な迫害を受けた人々を目のあたりにして、自分たちはと危害を加えられないようにできるだけ大人しく振舞うというこの人間性の卑小さ醜さ?(逆に言えば動物としての当然の生き残り本能?)、こういうところがマキャベリの嫌われるところなのだろう。がまたどこかにそれだけに留まらない、つまりうす汚れた人間どものとある実相を喝破する小賢しいマキァヴェッリから、こういう認識を通じてこそ、人間の偉大さへと通ずる脈路もどこかに現れ出てくる気もするがどうであろう。今日はこのぐらいで…