Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

J.G.A.ポーコックの『マキァヴェリアン・モーメント』その一

 実に実に久しぶりだ、先回が3月9日とあるから、およそひと月近くが何も書かずに過ぎてしまったことになる。今回は、明後日のちょっとした発表もあって、ポーコックの研究書『マキァヴェリアン・モーメント』だ、副題にはフィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統、とある。J.G.A.の略はそもそも何だろう、Johnは裏表紙に書いてあった、WEBで入力してみるとGreville Agard Pocockとあった。イギリス生まれでニュージーランドに渡ったのか、初めて著者の名を耳にしたのは大学院時代だったな、そう巣鴨の宴会の席で、こんな本が出たよと教えてもらったのだが、もうそれだけで何か手に取るのがおっくうになってしまったことを今でも覚えている。かれこれ30年以上前だ、その本を翻訳を真ん中において今更ながら向き合おうというわけである。さてどう読んでも日本語がまったく入ってこない、意味を形作らない、こういう時は原語の英語で読むしかないのだろけれど、それに英語でのほうが意外と意味がすんなり入ったりする経験もちゃんと持たせてもらってはいるが、それでもわかりにくい本だ、まだ序とパート1をおそろしい斜め読みで通読したところ、明治以来翻訳の精度はこんなもんなのだろうか、あるいは私の頭がすでに働きを失っているのだろうか。

 思い切って現段階で即断してみよう、ポーコックのマキァヴェッリ研究という観点で挑むなら、この研究書の主張は、マキァヴェッリこそルネサンス期の人文主義者の意を汲んでに共和国運営の難しさを論題にして後世に引き継いだ筆頭人物であって、何がそのトピックの核心かと言えば、共和制は君主制より腐敗と劣化が早いということ、だからそれにどう対処したらよいか、ということだと思う。マキァヴェッリの答えは『君主論』にみる知恵と軍事に通じた新リーダーの既存の秩序も道徳も無視した社会の初期化つまり原点回帰が必要としたが、あくまでもスイーパーである新リーダーを出現させるまでには至らなかった、が確認しておきたいのは「一度ローマにて現出したローマ共和制/共和政はいつであってもまたこの世に再現できる」という彼の信念である。(つづく)