Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

マキャベリが繰り出す理由節Perchè(ペルケ)

今日は時間が無いので手短に。

君主論』の第二章 De principatibus hereditariis(世襲の君主国について)の末尾を見てみよう。今後も夥しいほど出てくるマキャベリのperchè(ペルケ)で導かれる理由節だ、つまり「~、なぜなら・・・」という理由理屈を述べる欧文の典型的な表現である。

(5) Perché el principe naturale ha minori cagioni e minore necessità di offendere, donde conviene che sia più amato; e se extraordinarii vizii non lo fanno odiare, è ragionevole che naturalmente sia benevoluto dalli sua.

自然な君主は危害を加える理由も少なければその必要も少ないのだから、当然のことながらより愛されるはずで、度を越した悪徳行為でもして憎まれない限り、自然と領民に慕われるのが道理となる。

(6) E nella antiquità e continuazione del dominio sono spente le memorie e le cagioni delle innovazioni: perché sempre una mutazione lascia lo adentellato per la edificazione dell'altra.

 そうした支配が古くから連綿と続くと、変革の記憶も理由も消え失せてしまうもの、というのもひとつの変化は常に次へ向けての歯形を残すからである。

下線部の perchè なのだが、何かスーっと入ってこない、というかひとひねりがあるように私には思える。はっきり言えば、理由が素直でない、もう既に視点・視角が移動している。マキャベリの perchèの使い方の特徴的なところが表れているのではなかろうか。つまり、前の文の直接の理由付けになっていない、ということである。

 古くからの長期の支配はやたら変革を起こさせない、なぜなら…と続くのだが、マキァヴェッリの理由文は裏からものを言っているというべきか、あるいは条件文が隠れているというべきか、次のように補うと誰にでも素直に通ずると思うのである。つまり、「というのも、支配が長く安定的に続いていないと、ひとたび変化が起こるとそれが次々と引き起こされていくものだからである。」とか「というのもひとつの変化は常に次の変化の歯型を残すはずなのに、世襲の君主はそうならないからである」とか。

 マキャベリはよほど忙しかったのであろう、文章が説明的ではない、飛ぶのである、空隙があるのでそこを埋めないと、当然ながら時代の異なる異文化圏の人間には読みにくい分、逆に勝手な辻褄合わせも可能となってくる、誰だったかなぁ「この快速調の文章」とマキャベリの文章を評していたのは、カッシーラーだったか、違っていたらあとで訂正することにしよう。