Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

消えていないか確認のために

4.13.2019

随分とご無沙汰なので、消されていないか心配でここに繋ぎの意味で日誌風に綴ってみました。特記事項がないのでこれで止めて、また『君主論』の新たな訳出へと進もう、今第十二章の途中まできた。夏までには一通り完成させないと。私家版『マキァヴェッリ政治関連三部作』とマキァヴェッリへのイントロダクション(項目としては、共和主義者の中身、論述上の二分法、la fortuna di Machiavelli in Giappone、あとは気になるフレーズ)だろうなぁ。あとはマキァヴェッリヴィーコで、and/or哲学もどきで何か一点でも。開けゴマ、イタリア語では何と言うのだろう。

J.G.A.ポーコックの『マキァヴェリアン・モーメント』その一

 実に実に久しぶりだ、先回が3月9日とあるから、およそひと月近くが何も書かずに過ぎてしまったことになる。今回は、明後日のちょっとした発表もあって、ポーコックの研究書『マキァヴェリアン・モーメント』だ、副題にはフィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統、とある。J.G.A.の略はそもそも何だろう、Johnは裏表紙に書いてあった、WEBで入力してみるとGreville Agard Pocockとあった。イギリス生まれでニュージーランドに渡ったのか、初めて著者の名を耳にしたのは大学院時代だったな、そう巣鴨の宴会の席で、こんな本が出たよと教えてもらったのだが、もうそれだけで何か手に取るのがおっくうになってしまったことを今でも覚えている。かれこれ30年以上前だ、その本を翻訳を真ん中において今更ながら向き合おうというわけである。さてどう読んでも日本語がまったく入ってこない、意味を形作らない、こういう時は原語の英語で読むしかないのだろけれど、それに英語でのほうが意外と意味がすんなり入ったりする経験もちゃんと持たせてもらってはいるが、それでもわかりにくい本だ、まだ序とパート1をおそろしい斜め読みで通読したところ、明治以来翻訳の精度はこんなもんなのだろうか、あるいは私の頭がすでに働きを失っているのだろうか。

 思い切って現段階で即断してみよう、ポーコックのマキァヴェッリ研究という観点で挑むなら、この研究書の主張は、マキァヴェッリこそルネサンス期の人文主義者の意を汲んでに共和国運営の難しさを論題にして後世に引き継いだ筆頭人物であって、何がそのトピックの核心かと言えば、共和制は君主制より腐敗と劣化が早いということ、だからそれにどう対処したらよいか、ということだと思う。マキァヴェッリの答えは『君主論』にみる知恵と軍事に通じた新リーダーの既存の秩序も道徳も無視した社会の初期化つまり原点回帰が必要としたが、あくまでもスイーパーである新リーダーを出現させるまでには至らなかった、が確認しておきたいのは「一度ローマにて現出したローマ共和制/共和政はいつであってもまたこの世に再現できる」という彼の信念である。(つづく)

マキャベリの中のマキャベリズムその1

 少し間が空いたが、『君主論』第三章の混成型の君主国の在り様とその獲得・維持について述べたくだりに戻ろう。そこで、これは世にいう<マキャベリズム>という箇所を見つけたので取り上げておこう。意外にも、マキャベリの行論にそういった権謀術数の、血も涙もない打算を見つけるのは稀なのに驚くが、「おぬしも悪よのう」といった悪代官そのものの見立てがやはりあるにはあるのである。

 元の領土に手足のごとく付け足されてできる新君主国では問題が多い、こうマキャベリも指摘している。いつもの場合分けで、併合される土地が自由な暮らしに慣れていなければ比較的まとめるのは容易だが、言語も習俗も制度も異なる地域となると手を焼くのは確かに目に見えている。そこでマキャベリが次善策として勧めるのが、植民団を新領土に送り込むことだ。

(15) Nelle colonie non si spende molto; e sanza sua spesa, o poca, ve le manda e tiene, e solamente offende coloro a chi toglie e campi e le case per darle a' nuovi abitatori, che sono una minima parte di quello stato;

 植民都市においてはさほど金がかかるものではない、ゼロかわずかの出費で植民団を送り込み、そして傷つけるのは、新しい入植者用に土地や家屋が取り上げられる人々のみだが、彼らはその領土の極々一部である。

続けて、

(16) e quegli che gli offende, rimanendo dispersi e poveri, non gli possono mai nuocere; e tutti li altri rimangono da uno canto paurosi di non errare, per timore che non intervenissi a loro come a quelli che sono stati spogliati.

 彼{君主}が傷つける人々は、散り散りに貧しくなっていくから、危害を加えてくることなど不可能である。残る者たちはと言えば、見方を変えれば、皆傷つけられずに済み、‐だから大人しくなるはずであって‐、他方{彼らからすると}身ぐるみ剥がされた連中と同じ目に合わないようにと心配だから、怖気づいて過ちを犯すことはない。

 とまあ随分と一般のそれも併合される側の、中でも植民用に土地や家屋を奪われる側の住民は人間扱いどころではない、物だ。そして、平民というか人民というか、一般の人々に対する普遍的な認識として次の見立てを導き出す、見てみよう。

(18) Per che si ha a notare che gl'uomini si debbono o vezzeggiare o spegnere: perché si vendicano delle leggieri offese, delle gravi non possono: sì che la offesa che si fa

 それゆえ心に留めておくべきなのは、人民には恩恵を施すか、あるいは消してしまうかなのである。というのも人は軽微な危害には復讐するものだが、大打撃には抗しえない、つまり人間相手に為される侵害行為は復讐の恐れのないようであらねばならない。

ほう、なかなか言うじゃないか、一瞬嫌悪感を覚えるしまた同時に昔も今も変わらぬ一般人のすこぶる動物に近い心性を図星しているとも取れるし、たしかに悪くも良くもマキャベリ的な表現ではある。

 繰り返すが、平民根性として、ごく一部の理不尽な迫害を受けた人々を目のあたりにして、自分たちはと危害を加えられないようにできるだけ大人しく振舞うというこの人間性の卑小さ醜さ?(逆に言えば動物としての当然の生き残り本能?)、こういうところがマキャベリの嫌われるところなのだろう。がまたどこかにそれだけに留まらない、つまりうす汚れた人間どものとある実相を喝破する小賢しいマキァヴェッリから、こういう認識を通じてこそ、人間の偉大さへと通ずる脈路もどこかに現れ出てくる気もするがどうであろう。今日はこのぐらいで…

 

 

 

 

 

 

一息、そして一言(ルイ十二世関連本入手)

 先回の予告、ルイ十二世について『マキァヴェッリ事典』から拾うとの作業はもう少し先延ばしとしよう。インターネット経由で、"LOUIS XII"というペーパーバック本を見つけて入手したのでそれを記しておく。著者はFrederic J. Baumgartner、出版元はSt.Martin's PressでNew York, USA, 1996だ。本をめくると、英字がだいぶ小さい。序のそれも最初のところにルイ王に捧げられた「人民の父 Father of the People」なる称号があるのに、ルイ十一世とフランシス一世の間に挟まって、つまり中世が終わってルネサンス宗教改革と流れる激動の時代における目立たぬ王として扱われるようだ。フランス語の文献情報があるのに続いて、グイッチャルディーニ Guicciardini(マキャベリと同時代のフィレンツェ政府の外交官)の『イタリア史』でも触れられている、とあるから何だまずはこちらから読んでみるのがいいじゃないか、というわけでグイッチャルディーニ 『イタリア史』からのルイ十二世像と先回から持ち越しの『マキァヴェッリ事典』の解説の取りまとめは気が向いたときの宿題としておこう。

 あと一つ。実はルイ十二世と勘違いしていたのだが、マキャベリ『戦争の技術』第一巻で自前の徴兵制度の創設を老傭兵隊長ファブリツィオに仮託して語らせていた箇所があったと思う、そこでは「フランスの徴兵制度とは違う」とあったはずで、その時代のフランス王はシャルル七世であった、よってこちらのシャルル七世の軍事制度がどんなものであったかも当たってみたいと思っている。こちらのシャルル七世の徴兵制度には「居丈高な」という形容詞がついていたと記憶している、イタリア語原語は何だったかなぁ、presuntuoso???もっと簡単な言い方だったように思う。探すのが面倒くさいから今日はおしまい、では。

混成型君主国の代表例-フランスのルイ十二世

君主論』第三章の続きである。混成型君主国としてミラノ公国を併合したフランス国の君主ルイ十二世がやり玉に挙がっている。

 (4) Per queste ragioni Luigi XII re di Francia occupò subito Milano e subito lo perdé; e bastò a torgliene, la prima volta, le forze proprie di Ludovico: perché quegli populi che gli avevano aperte le porte, trovandosi ingannati della opinione loro e di quello futuro bene che si avevano presupposto, non potevano sopportare e fastidii del nuovo principe.

 こうした理由から、フランス王ルイ十二世はすぐにミラノを獲得し、またすぐにそれを失った。最初はルドヴィーコの自前の軍隊を蹴散らすだけで十分だったのに、というのもかの民衆はルイに城門を開いてくれたが、自分たちの意見と良かれと想定した未来が間違いだったと気づくと、新君主の煩わしさに耐えかねたのである。

(5) Bene è vero che, acquistandosi poi la seconda volta, e paesi ribellati si perdono con più difficultà: perché el signore, presa occasione dalla rebellione, è meno respettivo ad assicurarsi con punire e delinquenti, chiarire e suspetti, provedersi nelle parte più debole.

 とはいえ確かなのは、二度目に手に入れたとなると、刃向かった土地を失うことは実に難しくなる。それというのも、主(あるじ)は謀反の機会をとらえて進んで身を守り、首謀者らには刑罰を与え、被疑者をあぶりだし、弱点に備えるものだからである。

そして次の段落が続くのだが、またしても代名詞である。これでどの人称代名詞が何を表しているのか、これは当時のフィレンツェにおけるマキャベリの仲間たちも、現代のイタリア語を母国語とする人々にもサ-ッと分かるものなのだろうか。

 (6) In modo che, se a fare perdere Milano a Francia bastò la prima volta uno duca Ludovico che rumoreggiassi in su' confini, a farlo dipoi perdere la seconda gli bisognò avere contro tutto il mondo e che gli exerciti sua fussino spenti o fugati di Italia: il che nacque dalle cagioni sopradette.

 それはちょうどフランスにミラノを失わせるのに、最初はルドヴィーコ公一人が国境沿いで騒動を起こせば事足りたが、その後二度目にそれを手放させるには、彼にとって全世界を敵に回し、かつその軍隊が壊滅するとかイタリアから一掃される必要があったが、それが上述の理由から生じたのだった

日本語の下線部「それ」「彼にとって」「その」「それが上述の理由から生じた」に当たる原文内の単語が "lo", "gli", "sua", "il che nacque dalle cagioni sopradette." である。ここはマキャベリの同時代人ルドヴィーコ(Ludovico)やルイ十二世にまつわる史実が、またその関わり合いの顛末が知識として入っていないと、「は?」ということになってしまう。ルイ王は二回ルドヴィーコのミラノを手に入れて、二回とも失ったらしい、その当たりをDottiの注釈、G.Ingleseの注釈、そして昨年手に入れたTreccaniの『マキァヴェッリ事典』で確認しておく必要がある。それにしても最後の「それが上述の理由から生じた」の「上述の理由」って何だろう、どこにその言及があるのか、「一度謀反を起こした土地を再び手に入れると、そこは簡単には失われない」と前の段落で述べていることと素直に繋がってこないのだ。ルイ十二世についてはまた明日(続く)

 

 日を改めて、今日は2月21日(木曜)の昼前、ルイ十二世の続きと行こう。早速『マキァヴェッリ事典』二巻目を除くと、「順境逆境ともに味わったフランス王」とある。イタリック表記なので、これがあだ名なのだろうか。

 ヴァロア家の血を引くオルレアン公だったのだそうだ、先王シャルル八世が早死にしたので急遽1498年4月7日にその跡目を引き継いだ。(細かい日付だな。)フランス皇太子のことはdelfino、ドルフィンというのか。シャルル八世はあの1494年の「チョーク戦争」で覚えていたが、それに従軍している。時代は遡って、ルイ十二世王の若かりし頃は途轍もない土地を正当にも支配下に収めていく強力な封建領主であって、マキャベリのフランス派遣ではこのことが触れられている、とある。(自分で訳出した『フランス事情報告』を参照のこと、とあるが、そうだったかな、記憶にあるのはフランスの厳格な長子相続で領地は長男のもとにどんどん集約されていき、かたや次男以降は軍隊で昇進を重ねることが彼らの栄達になる、とあったと思う。)ブルターニュBretagnaの諸侯とシャルル八世が戦っているのに、彼らと同盟を結ぶなどの背信行為と受け取られる行いもしていたとあるので、事実その戦いの敗北後に捕らえられて3年ほど牢獄にぶち込まれている。(この異端的行為が逆境王の異名の始まりなのか。)

 あとルイ王がヴァレンティーナ・ヴィスコンティの甥っ子に当たることから、母方の相続地ということで、ロンバルディアをつまりミラノ公国を回復するつもりがあったようだ。そしてこのルイ十二世は1499年、野望をもってイタリアに南下してくる。数週間でミラノ公国を制圧、また同様に瞬く間にそれを失った。これが上に挙げた最初のマキャベリからの引用、「フランス王ルイ十二世はすぐにミラノを獲得し、またすぐにそれを失った。」に相当するという訳なのか。(ちなみに、『ローマ史論』第二巻15章にも言及あり、とある。)さて、問題はあの代名詞オンパレードの先に見た引用文である。史実の概略はどうなっているのか。「二度目に手に入れる」とはどういう状況なのか。(つづく)

  ただいま帰宅。さて目先を変えて、Dottiの注釈を追ってみよう。フランス王ルイ十二世の在位は1498年から1515年ミラノ公国に権利要求をつきつけて(つまり上述の母方がヴィスコンティ家と繋がることから生ずる相続権の主張なのであろう)、1499年9月、ヴェネツィアの援助と同盟関係も取りつけてミラノを征服とある。この時のミラノ公がルドヴィーコだが、別名ルドヴィーコ・イル・モーロ、顔色が浅黒いがためムーア人とあだ名されていたルドヴィーコ・マリア・スフォルツァがそれである。しかしフランスの苛政がため、つまりそのあまりの厳しい統治のため、ミラノの人々の不満が爆発、ルドヴィーコ・イル・モーロが1500年2月にはミラノに入城して奪還するものの、またその2か月後にルイ十二世の手に渡ることとなったようだ。(ということは1500年4月だな。)そう確かにルイ十二世は1500年4月にミラノに再入城してその後13年間はその地に留まった、とある。(これが二度目に手に入れるとなかなか奪われない、ということの根拠か。)

 そしてフランスのルイ十二世に最初にミラノを手放させるには、つまり1500年の2月だと、ルドヴィーコ・イル・モーロが身を寄せていたドイツのマクシミリアン一世の宮廷からフランス追討の市民蜂起をミラノで1500年の1から2月にかけて嗾{けし}かければものの見事にそれが成功したのであった。がしかし、1512年には、つまり二度目にミラノがルイ王の手に落ちてからは、約13年の歳月を経て、しかもそのルイ十二世に対して教皇スペイン王、ドイツ皇帝、ヴェネツィア、イギリス国王にスイス人が徒党を組んでようやくミラノからフランスが出ていくこととなった。このあたりの史実がマキャベリの論旨の背景にあるわけである。

 すると代名詞オンパレードと述べた段落は、次のように理解できよう。「それはちょうどフランスにミラノを失わせるのに、最初はルドヴィーコ公一人が国境沿いで騒動を起こせば事足りたが、その後二度目にそれ{ミラノ}を手放させるには、{フランスにとって}全世界を敵に回し、かつかの{フランス}軍隊が壊滅するかイタリアから一掃される必要があったが、それが上述の理由から生じたのだった。」ということになろう。それでも、何度も言うが、「上述の理由から生じた」の上述とはどこを指すのであろう、完全に雲が晴れたとは行かないのである。(『マキァヴェッリ事典』の解説はつづき)

 

 

はたまた人称代名詞quelli

君主論』に戻ろう。第三章の混成型の君主国について(De principatibus mixtis)に入る。

新しい君主国にも二様があった。まったく新しいのと世襲の国土に新領地を付け足して作る混成型の君主国、マキャベリはそう区分している。もっとも喋りたいのがまったく新しい君主国にもかかわらず、そこに行くまでに第二章では「世襲型」が、そして第三章は混成型が説き起こされている。私は幾分ジレったく感ずるが。

(1) …E prima, - se non è tutto nuovo, ma come membro: che si può chiamare tutto insieme quasi mixto, - le variazioni sua nascono im prima da una naturale difficultà, quale è in tutti li principati nuovi: le quali sono che li uomini mutano volentieri signore, credendo migliorare, e questa credenza li fa pigliare l'arme contro a quello: di che e' s'ingannano, perché veggono poi per experienza avere piggiorato.

…最初に、-全てが新しいわけではない部分的手足のごとき君主国だが、そうした国はおしなべて混成型とでも呼んでおこう-、そうした国の変遷はひとえに本来の難しさから生じ、それはあらゆる新君主国につきものとなる。つまりは人々がより良くなると信じて主(あるじ)(トップ)を進んで変えようとし、この信念は彼らをして主(あるじ)(トップ)に対して武器を取らせることとなり、これが間違いのもとなのである、なぜなら彼らはのちに経験からしてより悪化したことを目のあたりにするからである

 混成型の新君主国には本来の、当然の、原語ではnaturale、こうした困難が生ずる、と。その説明は有名な箇所だ。上記の下線部のとおり、住民たちは進んでトップを変えたがり、そして武器を手に行動に出るものの、もともと浅はかなのか、後から必ず後悔に襲われる、と。決まって後の祭りとなるのは、トップを変えてみて何も良くなってないじゃないか、むしろ前より生活が悪くなっているではないか、と気づく羽目に陥るものだ、と。「住民たち li uomini」というのはどっちの住民を言っているのだろう。もともとの住民それとも併合された側の住民? 兎も角も、マキャベリはnaturaleと言っているのだから、混成型の君主国はお勧めしないということになる。騒動、騒擾が絶えないからである。

 そこで今日のテーマは次の段落の人称代名詞quelliである。

 (2) Il che depende da una altra necessità naturale et ordinaria, quale fa che sempre bisogni offendere quelli di chi si diventa nuovo principe e con gente d'arme e con infinite altre ingiurie che si tira drieto il nuovo acquisto:

 こうなるのも至極当たり前のもう一方の必然に拠るもので、つまり常に新君主となる者の住民を傷つけることとなり、兵士たちは新領土獲得後に途方もない侮辱をもたらしてしまう。

混成型の君主国に絶えることない騒擾の「もう一つ」の当然で当ったり前の必然を述べているくだりなのだが、素直に原文を読むと決して気持ちよく分かるものではない。「つまり常に新君主となる者の住民を傷つけることとなり、…」とあるが、「新君主となる者の住民」とはだれを指しているのか、どっちを指しているのか。住民全体?、もともとの領土の住民?、新たに獲得した領土の住民?、この住民と日本語にした原語がquelliとなっている。イタリア語に未だに疎い私の迷いはこうだ。「テキストは、混合型つまり新たに領土を付け足す新君主国は、もともとの住民を兵役と新領土獲得後の夥しい侮辱行為によって傷つけるということか。quelliがどちらの側の人々を指しているのだろう、本国側として最初は意味を取ったが、反対なら新たに付け足される側、つまり具体例ではナポリの人々となる、そうすると新君主を迎えるナポリ側の住民は常に傷つけられ、兵隊によって、数々の侮辱によって、ということか。後者の方が筋が通る気がしてきた。残りのテキストも見てみよう。」とこんな調子である。

 第一章では混成型の新君主国として、アラゴン家出身のスペイン王フェルディナンド5世(カトリック王)が1504年ナポリを併合したことが挙げられている。上記のquelliはもともとのスペインの住民なのか、ナポリ側の住民なのか、英訳で確かめると以下のようになっている。そう、確かに文脈から言っても、傷つくのはナポリの住民であろう。

"That follows from another natural and ordinarynecessity which requires that one must always offend those over whom he becomes a new prince, both with men-at-arms and with infinite other injuries that the new acquisition brings in its wake."

下線部の関係代名詞over whomで明らかに「王が新しい君主として君臨するところの人々」と解釈しているから、この場合はマキャベリナポリの住民を念頭に置いていることが窺えるのである。

 問題はここからである。イタリア語原文の“quelli di chi si diventa nuovo principe”なのだが、どうしてこういう書き方をするのか、マキャベリ先生に文句があるのである。なぜ「新しい君主をいただく住民」とかもっと単純に「君主にとっての新しい住民」と書かずに、「新しい君主となる者住民」とdiつまりofで繋ぐのか。どういう頭の構造から、どういった思考空間からこんな表現になるのだろう。「新しく君主となる者」、その人の「あれらの人たちquelli」、スペイン王からつまりフェルディナンド5世から見て傍ではなく向こうの人々、たしかにquelliは複数形で英語なthoseで、「あっち」ではある。今回もっとも言いたいことは、マキャベリが肝心なところで代名詞それも人称代名詞を多用しすぎることへの不満なのだが、さらにどこに視点を措いて「あれそれ」を述べているか、ころころ視点を変えるな~っ、と叱責したいということなのだ。逆に言うと、どうもこうした書きっぷりにマキャベリの特徴があり、落とし穴が現在においてもなおかつ存在するように思う。

 

 

Excuse 言い訳その一

 二日丸々書かずじまいで過ぎてしまった。昨日は京大にて「第六回ヴィーコ読書会」があったので、そちらに出かけて刺激をもらい帰宅。ヴィーコとは、イタリアは17世紀ナポリ生まれの哲学者で、当時ヨーロッパを席巻したデカルト哲学の理性万能に抗して、人文主義的学知の復権を新たな学問観とともに樹立したことで知られる。

 『新しい学』(1744年版)の第二部詩的論理学の第二章における比喩の文例で、書き留めておかないとどうにも落ち着かないところがあったため、それをメモして次に進むとしよう。

 Post aliquot, mea regna videns, mirabor, aristas とのラテン語文がそれで、これは提喩が2つ、換喩が一つ含まれている、とのヴィーコによる説明だがどう理解したらよいのだろうか、というもの。バッティスティーニ注釈のMeridiani版(1990)にはちゃんと注釈が付いており、私の所有する二巻本の下巻p.1573にはこうある。

 Post...aristas: 《dopo alquanti anni, vedendo i miei regni, proverò stupore》(VERG., Ecl. I, 69).  まずはイタリア語に移すと、「何年かののちに、私の国々を見るならば、驚きを覚えることだろう」となり、出典はウェルギリウス『牧歌』第一歌69。バッティスティーニの解説を続けよう。L'esametro è un caso canonico di metalessi, ossia di connessione di più tropi: aristas, 《spighe》, è sineddoche di 《messi》; 《messe》 è dal suo canto metonimia per 《estate》; 《estate》 è sineddoche di anno. 

 んーっとこれを日本語にすると、「(ラテン叙事詩の)ヘクサメトロンつまり長短短6歩格の詩文は転喩(メタレプシス)の典型かいくつかの比喩(トロープス)の連結となっている。そこでaristas はつまり麦の穂のことで、これは穀物messiのsineddocheつまり提喩、次に穀物とは夏のmetonimiaつまり換喩、そしてまた夏とは年のsineddoche提喩となる。」と。そうなると提喩が2つ、換喩が一つ。ちなみに、もっとも簡単に言えば、提喩とは一部で全体を(その逆もしかり)、換喩は連想(原因・結果ふくむ)、ここにはないがもう一つ隠喩にはメタファー(ある物で言い換える)とアナロジー(ある物との類似)がある。

 これだけでややこしいが、ヴィーコが描きつつ証明を試みているのは、おそらく太古の野獣どもがその肉体に根差す強烈な感覚から、想像力逞しく喩(後の文明化された世界からはメタファー、アナロジー、提喩、換喩などと分類される)を駆使しつつ概念を作り上げると同時に目の前の世界を意味づけていったその模様を言語の歴史から繙いていってくれているのであろうが、ああ数回読んだだけではまったくお手上げだ。以上。