Intra-muros’s diary

はじまりは饗宴から

再起をかけて9月13日2019年イタリアはピサにて―その三ー

二日空いてしまった。これはその二のつづきである。

明治の最初に、スピノザ流の、そしてルソーにも及ぶ「反面教師としてのマキァヴェッリ」理解が植え付けられたとすれば、それはやはり日本におけるマキァヴェッリ受容の特徴であろう。時代は下って、昭和の戦争にひた走るさ中の確か昭和15年、大山論文というのがあって、大山郁夫氏だったか陸軍のそれなりの人物だが、その論文中に<倫理や道徳からマキァヴェッリに対しての激しい論難は生じていない」といった内容があることを、これまた佐々木氏の前掲書が教えてくれていたと思う。これは注目してよいのではなかろうか、日本ではマキァヴェッリの言説が道徳的あるいは倫理的な非難を日本ではこれといって巻き起こさないという指摘はおもしろい。遠く離れた欧州の他人事なのか、翻訳の問題なのか、それともそもそも日本の読者層のメンタリティーと深層のところにおいて親和性があるのであろうか。意外に私個人としてはこの三番目の可能性が証明できないかどうか興味関心がある。(急に頭が働かなくなったので続く…)